わが国主力産業の近代的展開は明治時代に始まった。欧米各国に追いつき、追いこせの情熱で、富国強兵、殖産興業が唱えられ、政府主導で鉄道、道路、通信網、官営工場が相次いで整えられてゆく。建設業もこの流れにのり、次第に基盤を整え、実力をつけてゆく。ただ、明治初期は、技術、人材、資金のどれをとっても政府の独占下にあり、建設業は単なる人集め、今でいえば人材調達、派遣業の色彩が濃い。一つの転機は明治二十三年(一八九〇年)に制定された「会計法」である。
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工事量が増える一方、業者の技術力も向上したため、一定の保証金さえ積めばだれでも入札に参加できるようにする画期的な法制度だった。業者が乱立、過当競争が激化した。これを憂えた、明治財界の重鎮、渋沢栄二大倉喜八郎、藤田伝三郎は、日本最初の法人請負業者「日本上木会社」を明治二十年に設立、業界の大同団結を訴えた。しかし業界の思惑は分裂、三年後には解散に追い込まれた。総じて明治期は土木工事、とくに鉄道建設に携わる業者が急成長した。鹿島組、佐藤組、間組、鉄道工業の四者であり、あとから、西松組、大倉上木、飛島組も戦列に並ぶ。建築会社が急激に伸びたのは、明治後期、鉄骨構造、鉄筋コンクリート工法が採用されてからである。竹中工務店、清水組の寡占市場に多くの新規参入が相次いでゆく。大正十二年(一九二三年)の関東大震災で鉄筋コンクリートの強じんさが明らかとなり、以後昭和初期まで、建築の大ブームが続く。この間、土木では、ダム、トンネルなどの難工事が完成する。